患者の代わりに見ているものは?

私のiPod classicです。160GBです。もう手に入らないので貴重です。

そのiPodでは(どの?)福島弘道先生の補瀉論が絶賛ヘビロテ中です。オンライン講義のために聞いています。
https://kishinijutsu.com/2020/04/08/%e3%82%aa%e3%83%b3%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3%e8%ac%9b%e5%ba%a7%e3%82%92%e3%81%84%e3%81%9f%e3%81%97%e3%81%be%e3%81%99%e2%99%aa/
帰納演繹という言葉がよく出てくるのが印象的でした。
みなさんご存知のように(知らんか)福島弘道先生は「学よりも術」といって臨床を重視されたのですが、鍼の世界に足を突っ込んだばかりの頃、「臨床を重視する」とことさら言われるのが不思議でしてね。
臨床が大事って当たり前やん、と思ったのですが。
が。
どうやら世の中には臨床よりも大切なものがあるようでして。
一部の人、いえ、ひょっとすると鍼灸業界、特に伝統鍼灸の世界では大部分なのかもしれません。
それが「学」「古典」です。

森を見て木を見ず、とでも申しましょうか、古典ばかりに目を向けて目の前の患者さんを見てないのです。
喧嘩うっとんか!!と怒られそうですが、だって福島先生もそう言ってるもーん。
大先生の論文ばっかりありがたがって、ベッドの上の患者さんを見ていない、って。
福島先生も言ってるもーん。
学よりは術、福島先生の教えを掲げてそれをさらに進化させたのが氣鍼医術です。
片方刺しの相克調整を継承するのはもちろんのこと、氣鍼医術を従来の経絡治療と分かつ最たるものが、子午鍼法を補法としたことです。

え?何言ってるかわかんない?
そんな方は、氣鍼医術臨床講座にカモーン!!

氣鍼医術研究会


って、コロナのせいで次回の開催が未定なんですけどね😅

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