臨床20年の失敗・誤治例から

医道の日本 第670号(2000年2月号) 掲載
葛野玄庵 寄稿

1.はじめに

名人・大家の先生方のように、鍼の手技の微妙な部分・気の感じ方などの、古典についての研究成果など到底語れない。そこで、臨床20年を省みて、今、唯一語れる自慢といえば、失敗臨床例ということになる。つまり、私が痛い目にあったことを語り、同輩の方々が同じ轍を踏まないで鍼灸道を進むお役にたてればという案配である。

また、そこに私が治す悩みを克服できたかもしれないヒントの一つがあるように思う。

2.失敗を省みて

患者の治療姿勢の失敗

①患者50歳。前日から腰重。痛みは軽く、これ以上悪くならないように来院。定則通り脉診、問診をして治療に入った。軽い痛みだというのをうのみにし、うつむきの姿勢で約3分、その後仰向きにさせようとしたが
「あいた!」
という声とともに動作痛が発生し、起き上がれなくなった。

(反省)患者を寝かせるときに楽な姿勢の確認を怠ったこと、ラセーグテスト、その他の動作テストをせずに治療に入ったこと、腰痛の既往症を確かめなかったことが問題だった。

患者は慢性腰痛の男性で、90歳。やや前かがみぎみ(年のわりに元気そう)。日頃から腰痛を訴えていた。下向きでも大丈夫とのことで、その言葉をうのみにして治療を始めた。2〜3分して痛みの増加の訴えがあり、横向きの指示を出したが痛くて動けない。結局痛みは治らないまま帰宅。後、整形に行きレントゲン→腰椎骨折→入院。

(反省)本人の言葉をうのみにしたこと。老齢で、骨が弱っているだろうということを考えなかったこと。

温冷の失敗

患者は前日より肩頚の痛みを感じ、当日の朝より頚が全く動かなくなる。座ったまま氣鍼をした後、仰向きに寝かせてホットパックを両肩に当て置き、5分後に尋ねると、
「先ほどからうずいてたまらない」
という。あわてて軽く治療をやり直し、湿布をして帰宅させた。その夜は眠れなかったという。

患者は慢性腰痛の女性、60歳。楽だという姿勢は左下横向き。股に枕をはさみ、腰部に2〜3ミリの置鍼。ホットパックを当て、そのまま5分経過後様子を聞くと、
「右足がだるくてたまらない、腰もだるい」
という。あわててホットパックを取り治療したが、次の日も痛みは取れなかった。

(反省)患部が熱を持っているか、腫れているかを手で確かめず、温めれば気持ちがいいという思い込みで治療をしてしまった。多忙な時ほど一人一人に気配りが必要なことを教えられた。

ドーゼ(治療量)の失敗

患者は35歳。脉は虚軟。鍼は初めてで、肩こり・腰痛で来院。腎兪あたりの患部に5ミリ程度の刺入鍼を行い、動作痛を確かめると良好であった。肩にも軽く刺入を行い、定則の治療を終えたが、気分が悪くてベッドから降りられないという。脉を診ると、指腹に感じられないくらいに脉が虚した状態で、明らかに鍼を刺入することができない脉状であった。腰も肩も接触鍼(氣鍼)のみで十分であった。鍼は刺入しなければならないと思っていた頃の話。

患者は50歳。やや肥りぎみ。腰が冷え重だるい、肩こりとのことで来院。患者を横向きにさせ、志室あたりに5番鍼を刺入し、灸頭鍼を2回行った。患者は気持ちがいいの連発で安心していたが、次に来院したとき、
「腰がだるくてだるくて、次の日は寝込みました」
という。

(反省)筋肉の少ない肥りぎみの女性であるにもかかわらず、5番鍼を刺入し灸頭鍼をしたことで患部の筋肉をゆるめてしまい、腰痛(炎症)を悪化させたものだろう。不必要なサービスをしてしまった。

本治法の失敗

患者は女性で50歳。治療回数5回目。肺虚(主証)、肝虚(副証)。継続治療中、効果もあり、不定愁訴も軽減しつつあった。うっかりして、脾虚(主証)と勘違いし、太白、大陵に1寸1番鍼を施術したとたんに、患者はガタガタとふるえだし、気が遠くなりそうだと訴えた。あわててカルテを見直すと肺虚(主証)であった。つまり、太淵をまず補い太白を補わなければならないところを、太白、大陵を補ってしまった。すぐやり直し、ふるえは止まった。主証をとりちがえたのである。

(反省)たかが1穴2穴の鍼をと思うが、本治法の間違いが身体に与える強さを思い知らされた。標治法が上手くいき、そのときは痛みが取れたり効果があると思っても、本治法の背術が不適切であれば症状は必ず元に戻るという例にはよく遭遇する。前例のように、いきなり身体がふるえたりする顕著な誤治は少ないが、望聞問切による総合的判断での本治法(主証と副証)の施術の仕方がいかに難しいかが、再認識されたのである。

助手まかせ、指示不徹底による失敗

ある時、来院した患者に
「前の治療の後、風呂に入ろうと思って衣服を脱いだところ、鍼が『ぽとん』と落ちたので持ってきました」
と受付で鍼を渡された。そのときはまぎれこんだのだろうと思っていたが、ある時、治療を終了した患者がベッドに座った時、腹を指さして
「ここに鍼がまだ」
と言ったのであわてて見ると、関元あたりに置鍼した鍼がそのままであった。それは、中脘・関元に置鍼をして、助手に、
「お腹の鍼、抜鍼ね」
とのみ指示したので、助手は中脘のみを抜鍼し、下着の中で見えなかった鍼は放置したままだったのである。そういえば今までにも同様のことがあったように思う。
明確に、
「中脘・関元の鍼、抜鍼ね」
と指示しなかった私の失敗である。幸にこれまでは大事にいたらなかったが、やはり絶対に気をつけなければならいことのひとつではあると思う。

患者は男性で55歳。腰痛で来院。一通りの治療を終え、助手に患部への施灸を命じたまま、忙しさにかまけてドーゼを指示しなかった。そのため半米粒を11壮、全く手加減せず施灸してしまっていた。気がつけば患者は、脂汗を流して我慢していた。我慢する方も我慢する方だが、いくら効かせようと思ったとしても、熱さには加減というものがある。その患者は二度と来院しなかった。

患者は女性で60歳。右坐骨神経痛で来院。定則の鍼治療を終え、家でお灸をすえたいので穴をとってほしいとの要望があり、右腎兪・大腸兪・三里あたりの圧痛をとった。ところが10日後に来院したとき、その3ヶ所には5円玉ぐらいのかさぶたができ、膿ぎみであった。その上、指示していない痛みの場所にも、3,4ヶ所大きなあとを残していた。誰が見てもひどい状態になっており、医者にもやめろと言われたと言うが、灸というものがそんなにひどいものだと思われるのが残念であった。もぐさのひねりかた、大きさなどをちゃんと指示しなかったことがくやまれる。

消毒不完全の失敗

初診患者で子午治療を行い、金の30番鍼を右足の三陰交あたりに、刺さないで当てるだけの針をした。過日その患者から電話があり、治療の後、右足が腫れ上がってしまい、病院に行ったとのことだった。
「医者に『バイ菌が入ったのではないか、どうしたんだ』と怒られた」
と言ってきた。
「鍼をしたからではないか、どうしてくれる!」
という、暗に賠償してくれといわんばかりであった。
しかし私は、
「保健所の指示の元に消毒を行なっているからそんなことはない」
と告げた。押し問答になり、そのまま放って置いたところ、2週間後に保健所の担当者が治療を兼ねて消毒の事を尋ねてきた。その担当は元々患者であったので、特に注意を受けることもなくその質問だけで終わったが、足の腫れた患者が保健所に訴えたのは明らかである。

(反省)金の30番鍼は刺入しないので、アルコール綿で確実にふいたかどうか、また、三陰交を消毒したかどうかが記憶に明確でなく、バイ菌が入った可能性も考えられる。それ以後、消毒に関してはオートクレーブを含めて、より気遣っている。ただその時に押し問答をするのではなく
「消毒はきちんとしているのでそんなことはないと思うが、もし疑っておられるならば、鍼が原因であるという医者の診断書をとってきて下さい」
というような言葉で、冷静に返答しておればよかったと思う。そうすれば悪くとも賠償保険がおりるだろうし、また責任の所在も明確になり、双方とも納得がいったと思う。(『医道の日本』1999年12月号のニュース欄に「鍼治療で敗血症、蜂窩織炎に」という記事が載っていたが(231頁)、感染源の特定が問題になっているという。転ばぬ先の杖で、「鍼のキープ」と「オートクレーブ」、そして手指消毒をしっかりとやる必要を感じる)

その他の失敗

円皮鍼の失敗。患者は男性で15歳の野球部員。背中が痛いと初めて来院。定則通り治療が終わり、座らせて患部右肝兪に円皮鍼をつけようとピンセットで押し付けようとした瞬間に、崩れるように前のめりにベッドから落ちた。ちょうど前が木の壁だったので、支えるようにおでこを打ち、少しすりむいただけではあったが、一瞬気を失ったようであった。

(反省)鍼が初めてにもかかわらず座らせた上、円皮鍼の「チクッ」を与えてしまった結果、気絶させてしまった。本人には、
「少しチクッとするよ」
と前もって知らせ、下向きなどでするべきだった。崩れるように気絶した瞬間は、思わず私自身、ベッドを飛び越し彼を抱き起こしていた。心の中に「死」という言葉がよぎり、ドキッとしたことを覚えている。

他の治療との併用の失敗。患者は女性で65歳。右肩背腕うずきで来院。定則通り治療をし、治療後はうずきもなくなり帰っていくが、2回、3回と同様の症状が出て、治療後、
「そのときはいいが、またすぐ戻る」
「治るんでしょうか」
と不安げに訴える。5回目で夜のうずきは軽減するも、今度は肩を動かすと痛い。症状が変化するのでよくよく日常生活を尋ねてみると、足の裏ローラーを腰・肩にも当てているようだ。
「整骨院のローラーベッドや首の牽引は今の状態では絶対にだめですよ」
と言うと
「あっ、そうですかね」
と、どうも併用治療をしている気配である。すべての症状に対して言えることであるが、他の治療と併用すると早く治ると勘違いしている患者が結構多いので、話しかけ、問診して、よく尋ねることが大切である。

全然治らない話

他の患者がいるにもかかわらず、大きな声で
「全然治らないんですよ」
と訴える患者がいる。ムカッとするのを押さえながら、丁寧な口調で、
「今日は2回目ですが、3日前の治療の後の調子はどうでしたか」
と尋ねると、平気な顔で、
「あの日と次の日はすごくよかったですよ」
という。更に、
「前日は調子がよくて普通通りに仕事ができた」
という。
「じゃあ、今朝から調子が悪いんですね」
と聞くとそうだという。「全然治っていないのではなく、重い仕事をしたからじゃないか」と心の中でつぶやきながらやんわりと
「じゃあ、昨日まではよかったんですね」
と他の患者に聞こえるように念を押した。患者というのは色々な性格の人がおり、それぞれの言い分をよく聞き、そしてこちらの主張すべき事はすべきである。ただ治療家であるからこそ、優しさと思いやりを持って接すべきであろう。

3.患者との直接対決が勉強​

ここにあげた20年間の失敗臨床例は、ほんの一部にしかすぎない。予約患者が黙って来院しなくなった時、「どうしたんだろう」と夜中ふと目が覚めてしまったこともある。
開院当時は患者も少ないし治療力もない。本当に悪い言い方だが、1人1人の患者が生体実験の対象そのものであった。申し訳ないが、やはりその直接対決が、治療家にとっての貴重な勉強になったものだ。最近は失敗例もかなり少なくなり、患者数も増してきてはいるが、現在勉強からは遠ざかっていて、治療成功率が低迷している。
この世界は、イチロー選手の打率では食べては行けない。やはり8割以上の打率を残さなければ、リピートの患者もないということになる。少なくとも1回1回の治療効果を患者に感じさせる力がないと、どうしようもない。

4.夢と希望​

話は変わるが、治療を続けていく上で、夢と希望を持つことも力になる。私の夢は、自分の治療室の経済的基盤を確立し、医療過疎地に「鍼灸治療所」を置き、若手の臨床現場を確保しつつ、かつ、地域の人たちに鍼灸治療を安価で提供し、喜びを分かち合う。そしてあわよくば、医術としての鍼灸の、現代医療の中での地位を確立できればと思っている。若輩者が何を大きな事を、と思われるかもしれないが、何でも「氣」であろう。若手スタッフの「氣」、そして船長として舵をとる私の「氣」が融合する時が必ずや来ると信じている。
今一つの希望も語りたい。
それは、国家レベルでの複合医療制度の確立ということである。複合ということは、独自性を有するもの同士がお互いを尊重し、認めあい、同じ立場でよりすばらしいものへと発展させることだと私は理解している。換言するに、漢方医学の国家的レベルでの教育システムを作り、「漢方医師」「鍼灸医師」を育てる。そして、西洋医学と漢方医学の独自性を認めあいながら、複合医療体制が確立すれば、ということなのである。諸先生方、いかがでしょうか。

2011年 藤原知博士と

5.おわりに​

鍼灸道の奥深さを、今更ながら思い知らされる毎日である。二十数年前、私は故福島弘道先生(初代東洋鍼医学会会長)の門をたたき、内弟子として先生の往診カバンを持たせていただいた。おかげで、重病の患者さんたちをはじめ、宮様などの往診治療をすぐそばで手伝わせていただいた。その鍼医術と治療効果には目を見張るものがあった。治療室では1日100人以上の患者を治療し、弟子たちにわけへだてなく全てを見せていただいたあの治療こそ、本物の鍼医術であったといえる。
「治せば来る」
「治せば繁盛する」
「民主、自主、公開」
先生は常に叫ばれ、東洋はり医学会の先頭に立ち、私たちを導いて下さった。すばらしい指導者であり、理論家であり、そして偉大な「はり医」であった。
かつて、故竹山晋一郎先生が「脉を診ずに何をするか」と、脉を診ずに鍼灸治療を始めようとした著名鍼灸家を叱ったことは有名であるが、脉を診ずして鍼灸医術はあり得ないとつくづく思うこのごろである。

1977年 福島弘道先生(御年72歳)と

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